誰もが悩む渡し方と相場 印刷
作者 kojima   
2009年 1月 05日(月曜日) 13:24

私の立場は「基本的には必要なし」


 私はかつて総合月刊誌の医療特集で「医者に謝礼は必要か」という記事を書いたことがある。もちろん、「必要ない」が私の見解だったが、「そんなきれいごとなどどうでもいい。現実的に行われているのだから、どうすればいいか教えてほしい」と、数人の方にお叱りを受けた。

 それで、この問題を徹底的に追求して、『医者と謝礼のいま』(光文社)という本を書いた。
 ここでは、そうした私の経験を踏まえて、みなさんに、きわめて現実的な情報を提供する。

「謝礼」と言うと聞こえはいいが、医者への謝礼は一般的な意味での「感謝のしるし」としての贈り物ではない。そのほとんどが現金であるから、これはむしろ「付け届け」であり、ある意味では「賄賂」と言っても過言ではない。

 では、なぜ患者は医者に「謝礼」を渡すのだろうか? それは、やはり根底に「信用できない」という心理があるからだろう。医者への不信が行き着くところ、それが「謝礼」だと、私は思っている。

 もし、保険治療だけで十分に信頼がおける治療が行われるなら、誰も謝礼など払わないはずだ。手術前に、他人の目を盗んで、医者にそっと現金入りの封筒を渡し、「よろしくお願いします」なんて言わないだろう。
 保険治療費だけでは、医者はちゃんと診てはくれないと考えているから、患者は謝礼を渡すのだ。つまり、「医者不信」である。

 しかし、
「謝礼を渡そうが渡すまいが、医療行為は変わらない」
 というのが、本当のところである。  

 私は、医者への「現金謝礼」の根底には、患者側の医者への抜きがたい不信感があると思っている。「そんな必要はない」と言っても、「それは建て前でしょう」と言う患者ほど、この不信感は根強い。それで、なぜそう考えるのかと聞いてみると、返ってくる答えは、たいてい同じだ。

「先生、そうは言っても、ちゃんと『謝礼』をしておかないとどうされるかわからないではないですか。ものには、筋というものがあるでしょう。筋を通しておかないと困るんです。それがわかるお医者さんなら、ちゃんと便宜をはかってくれるはずですから」

 とくに生命にかかわることとなると、この気持ちは強くなる。つまり、「多少のルール違反を犯してもほかの人より早く診察してもらい、より速やかに治してもらいたい。健康はないよりも代え難い。そのためには『謝礼』が有効ならば無理もする」となるのだ。

 私は、患者側のこうした気持ちを否定できない。それが、人情というものだろう。こうして、謝礼はどんどんエスカレートし、もしも入院や手術が必要となれば、主治医だけでなく、執刀医や麻酔科の医師、看護婦や医事課の人にも、なんらかの謝礼が支払われることになる。

 では、医者側はこうした患者の気持ちをわかっているかと言えば、もちろん、イエスだ。さらに、では、医者はこうした謝礼を受け取るかと言えば、ほぼイエスだ。
  
 私の知る限り、差し出された謝礼を受け取らない医者はほぼいない。

 また、病院ぐるみで、患者に謝礼をおねだりするようなところもある。たとえば、紹介者に「入院したら、ベテランの看護婦の○○さんに相談にのってもらいなさい」と言われたある家族は、手術前にその○○さんから、こう言われた。
「入院中はなんの心配もいりませんよ。私たちがお世話しますから。ただ、手術前に先生方に挨拶しますので、ご用意していますよね?看護婦たちへは手術後でもいいですが、執刀してくださる部長先生には10万円、手術前にお渡したほうがいいですよ」

 このような話は、よく聞く。
 ただし、ここで問題なのは、いくら謝礼をしたからといって、手術がうまくいくとはかぎらないことだ。
 手術は、単に医者の腕で決まるからである。       

「当病院は医療費以外の現金、ことに医師への謝礼は一切、受け取りません」
 などといった貼り紙を、あなたは、病院の受付やフロアーの掲示板などで見かけないだろうか?

 では、そんなとき、あなたはどう思うだろうか?
「よかった。ここはそういう病院なんだ。これで、安心」と思うとしたら、あなたは人間として本当に素直である。多くの人が、こうした貼り紙を見て思うことは、じつは、「やはり謝礼がいるのか」である。

 確かに貼り紙がしてある病院というのは、よく聞いてみると、じつは医師のほとんどが受け取っている。なぜなら、過去にその例があるから、貼り紙をしているからだ。
 
 そんな病院のベテラン医師が、いみじくもこう言う。
「まだ20代で大学病院の外来にいたころ、年配のある男性患者さんが『忙しいから診察の順番を早くしてほしい』と私のポケットに2万円を突っ込んできたことがありました。そのときはカーッとなって突っ返しましたが、いまなら黙ってもらっておいて、診察の順番については知らん顔をしているでしょうね。実際、そうなってしまいましたよ。その方が患者さんだって気分を悪くしないしね」

 医者というのは、若いうちは誰でも潔癖感が強く、プライドも高い。患者の気持ちをくみ取る余裕もまだない。しかし、年を重ねるうちに、潔癖感だけでは世間は渡れないと、医者も知るようになる。

 つまり、「謝礼禁止」の貼り紙は、ほとんど意味をなさない。しかも、こうした貼り紙をしている病院ほど、謝礼が横行しているという現実もある。

 もし、あなたが世間知にたけた大人なら、「もしかしてこの貼り紙は、逆に『謝礼』をしてほしいという意味ではないのか」と、疑ってかかるのではないだろうか?

 たとえば、差額ベッドがいっぱいのときに、順番を早くする便宜のために謝礼が使われることもある。したがって、「当院では謝礼は一切お断りします」と貼り紙がしてあっても、そんなものは信用できないだから、例の貼り紙は、うがった見方をすれば、払えない人を安心させるための方便と言っても過言ではない。        

 病院で「謝礼」が日常化すると、いつの間にか「相場」が形成される。
 この相場は、過去に患者がいくら払ったか、またその医者がいくら受け取ったことによって作られるのだから、当事者が話さない限りわからないはずである。しかし、人の口に戸は立てられないとはよく言ったもので、払った人は必ず口外するのだ。そればかりか、医者自身ですら、自分から口を滑らす。これは、作為でしている場合も多く、つまり、「自分の価値はこれくらいだ」と、それとなく伝えている。

 その昔、千葉大学の名物教授だった中山恒明氏は、「大学を出たてのぺーぺー医者が切るのも、このおれが切るのも、手術代は同じなんだからなあ」と、日本の医療制度を批判しながらも、数十万円の「謝礼」を取っていたと言う。

 中山氏は、食道ガンの手術では世界でも有数な外科医とされ、その意見はまさに正論だったが、「ニセ診断書事件」が発覚して千葉大を追放されてしまった。もう、30年以上前の事件だが、そのころからちゃんと相場はあったのである。
 
 患者からこうした名医を名指しで指名された医者や医療関係者は、もしその名医が「謝礼」を取るなら、それを伝えねばならないだろう。だから、外科医の「謝礼」の相場は、関係者の間ではかなり知られている。

 この世界(どこの世界でもそうだが)、「蛇の道は蛇」で、もし相場がわからなくても、関係者をたどっていけばわかるようになっている。ここに「謝礼」の是非論を持ち出しても、無駄である。「謝礼」を受け取る名医のいる有名病院は、たいてい高度な医療を提供する「特定機能病院」の許可を受けており、原則として他の病院からの紹介状が必要とされるからである。

 もし、その病院が紹介以外の一般外来を受け付けていたとしても、患者が希望するその名医に手術してもらうことは、ほとんど不可能に近い。その名医がその道の権威であればなおさらである。

 大学病院や有名病院には確かに、名医といわれる先生たちがいる。開腹せずにおなかに小さな穴を開け、腹腔鏡下でガンの摘出手術をする医師、レザー治療でほとんどの腰痛を治してしまう医師など、そうした医者たちは欧米で最新の医療技術を修得してきている。

 むろん、治療実績がいいので、患者は引きも切らず、よほど力のある人に紹介を頼まないと、治療の順番はいつになるかわからない。いますぐにでもその名医にお願いしたいとなれば、割り込みとか診療時間外に診てもらうしかない。こうして、相場は暗黙のうちに決められていくのだ。

 もちろん、中には、いくら「謝礼」を渡そうとしても、絶対に受け取らない医者もいる。私の親しい某大学病院の外科医だが、手術の腕がいいことは日本でも有名であるが、患者がいくら渡そうとしても、突っ返す。が、それでも置いていく人がいる。その場合は医局に渡して、なにかの会合とか、医局の忘年会などの費用にあててもらっているという。しかし、彼みたいな医者は、めったにいない。

 有名大学の外科の教授が執刀した場合には、1回の謝礼が50万円以上に及ぶこともあるが、一般には10万円程度からというのがいまの相場である。
 
 私が大学の医局に在籍していたのは30年前だが、そのころは「謝礼」といっても商品券やブランデーといった品物が多かった。もちろん、現金の「謝礼」もあったが、それでも現在のような高額ではなかったように思う。それがここ十数年の間にれっきとした相場ができて、その金額は次第に高騰していった。
 都内のある有名な私立病院の“名医”と評判の外科医の相場は、1回の手術で100万であるが、この辺が現在の上限である。

 いまは定年退職しているが、ガンの摘出手術でよく知られる某医師は、「謝礼」だけで年間5000万円以上になったと聞いたことがある。そこで、1回の「謝礼額」を計算してみると、フルに手術していたとして週に4例、年52週で208例だから、平均24万円となる。しかし、このクラスの医師になると研究視察という名目で海外旅行にも出かけるし、それに正月休みやお盆休みもあるから、1年で200例ものオペをこなすのは不可能だろう。せいぜい、50例から100例である。だとすれば、実際には、平均50万円といったところか。      

 手術謝礼1回100万円。そんな高額な名医は別として、世間一般の「謝礼」の相場とは、どんなものだろうか? 
 以下は私が見聞した話だ。
 
 まず、謝礼をもらう頻度、その金額などがいちばん多いのは、私立大学の外科の教授だろう。もちろん、手術の難易度によって金額は違ってくるが、一般的に1回の手術で5万円から10万円といったところである。国立大学の教授も1回当たりの金額は同じだが、1カ月にならすと私立大学の教授の方が謝礼の総額は多い。この違いは手術の多寡に関係する。

 私の知り合いの私大教授で、月平均100万円ぐらいの謝礼をもらっている。給与と合わせると二千数百万円。これでも同期の開業医より数百万少ないと嘆いていた。

 私のところに寄せられる相談者の話、あるいは、私の本の読者の投書、そして私が聞いた話などから、私は患者さんが実際に謝礼をいくら支払ったかが、だいたい想像がつく。 
 それを整理すると、次のようになる。

 研修医や助手に3万円~5万円、主治医に10万円~20万円、手術の執刀医に10万円~30万円、麻酔科医に10万円といったところが、相場だろう。  

 また、ある主治医の場合、入院前、手術前、手術後の3回にわたって各20万円ずつ総額60万円が「謝礼」として渡っていた例があった。この立て続けに3回というのが気になるが、それにしても入院前の「謝礼」とは、紹介料とか口利き料ということだろうか。
 もちろん、これは、東京などの大都市部の病院と地方の病院とでは、かなりの格差がある。
 
 以前、都内有名病院の数人の医者に、「謝礼」についての話を聞いたことがある。彼らの話を総合すると、「謝礼」はお祝い事のご祝儀のように、「一、三、五……」という相場になっていた。
 実際には、これにゼロが1つ増えた金額で、たとえば私立のT医大の相場は、助手から講師、助教授、教授とその地位や肩書に応じて10万円、30万円、50万円といったランクがある。その上の「七、九」という数字はご祝儀と同様に忌み嫌われていて、50万円から上は一気に100万円になる。読者からの投書にもあったが、こういう高額な「謝礼」をもらうのはT医大でも主任教授、診療部長クラスである。

 科別に見れば、やはり直接「命にかかわる」という印象の強い一般外科が、最も「謝礼」が多い。整形外科や内科は「謝礼」の相場が外科に比べて四、五割程度低く、患者の「謝礼」に対する意識も薄いようだ。それでも入院すると、病棟の主任看護婦などが担当医師に「謝礼」を持って行くように指示するケースもある。

 国公立病院の外科部長などでも、「謝礼」1回当たりの金額は私立医大の教授と同じように5万円から10万円。月平均で4、50万円ぐらいが相場だ。      

 患者にとっての大きな問題は、「謝礼」を払った医者の腕が、払うに値するかどうかいう問題だ。払ったはいいが、手術がヘタでは患者は浮かばれない。

 1人の医者の技術に100万円もの謝礼を払うのは、それに見合う成果を期待してのことである。あもちろん、単なる「安心料」ということもあるが、相場がある以上、それは経済の原則から言って、「質の高い医療」に対して市場が付けた「価格」でなければならない。つまり、肝心なことは、医者の技術と「謝礼」の相場が妥当であるかどうかだ。

 外科医ほど、その技術に大きな個人格差があるのは、医者ならほとんどが知っている。しかし、一般の患者にはそんな知識はない。だから、ほとんどの人が肩書きで医者を判断してしまう。しかし、外科医の場合、これほど危険なことはない。もちろん、教授で医者としても優秀で、技術も高いという人は多い。だが、「教授だから腕がいい」とは限らないのである。

 大学病院の場合は、医療を実践する病院そのものと、医学部としての教育や研究をする組織が重なっていて、医師たちは多くのポストを兼任することになっている。つまり、主任教授が権力の中枢にいて病院では診療部長というポストにある。その下に副部長クラスの助教授がいて、講師、助手、研修医というふうに階層が続く。研究実績が優秀で教授になった人や、政治力だけでのし上がったという人もけっこういて、こういう人たちのほうが「名医」として紹介されことも多いのだ。

 教授になれば次は学会の会長になりたい。何々外科学会、何々内科学会の会長職というやつである。会員に推されてなる人はそれほどのお金は必要としないが、どうしても会長になりたい人は1本は必要だという。1本とは1億円のことである。

 だから、大学教授や研究者で名医なんて紹介された人は、学会発表が多いだけで手術がうまいわけではないし、診断能力が高いわけでもない。こういう先生たちは病院内のことより外の仕事が多いから、どうしても若い医者に任せてしまう。同僚には頼めない。部下の助教授や講師は忙しい。若い医者も暇なわけではないが、人事権や博士論文の審査権など絶大な権限を持っている主任教授には、天地が引っ繰り返っても逆らえないのだ。

 そんなやりかたで大丈夫なのかと心配するが、助教授たちは平気なのである。
「なぁに、彼らも自分の能力くらい知っているから、患者に手なんか出しませんよ。若い医者に手を出されるほうがかえって怖い。どうせ、こっちにまわってくるんです。教授は『後生だから頼む』なんて頭は下げられないけど、『世話になったみたいだね』ぐらいで済ませてしまう。そんなもんですよ」
 だから、そんな教授に高い「謝礼」を払っても、患者さんに対する気持ちは「そんなもん」にすぎないこともあるのだ。

 私は「外科医には手術実績を必ず聞け」と、主張してきている。このことは、最近の本でも、記事でもくり返し書いてきている。しかし、一般の患者にとって、医者に面と向かってなかなかできないことである。しかし、も、あなたが「謝礼」を払うならば、そのくらいのことを恐れてはいけない。

 それでも、躊躇するというのなら、最低限、以下のような目安を持つことをお勧めする。

 まず言えることは、経験豊かで手先が器用な40歳から50歳半ばくらいのベテラン医師がいいということである。次は、絶対に肩書きで選んではいけないということである。手先が器用というのは、これは先天的な要素が強い。外科医は一にも二にも技術。技術職だから、どんなに偏差値の高い大学を卒業していようが、どんなにすごい肩書があろうが、実際の手術とはなんら関係がない。患者にとっていい外科医とは、先天的に器用で、そのあとに医者としてどのくらいの訓練を積んだかということだけだ。

 組織や個人に対する「格付け」が一般化している米国では、慈善病院は別にして、病院や医者にもその能力に応じてABCと格付けランクがある。これは、役所で簡単に調べられるし、病院でも教えてくれる。また、ランキングの本も、患者向けに出版されている。ネットでも情報が公開されている。
 だから、誤診や手術に失敗すればランクは下がり、ミスをすれば訴訟国家だからたちまち裁判になる。

 ところが日本はどうだろう。最近は、報告義務が課せられて、病院ごとの手術数が公表されるようになったが、それでもまだ情報公開は進んでいない。

 しかも、保険のもとでは、治療が下手で患者さんが合併症を起こした方が、医者が儲かるような医療報酬制度になっている。
「これまでどのような手術をどのくらいこなしてきたか。その手術の成功率や術後はどうだったか。リスクはどの程度か」
 これくらいはぜひとも聞いてほしい。一般論と執刀医個人の実績を比較しながら質問すれば、本人でもそれほどの違和感なく答えてくれるはずだ。また、医者に命をあずけるわけだから、患者として当然の権利でもある。「謝礼」はそれからでも遅くはない。        

 私がいくら「必要ない」と主張しても、やはり謝礼をしたいという患者さんはいる。そこで、そういう方には、「渡すとならドライに割り切ること」と、私は言っている。誤解しないでほしいが、私は謝礼を奨励しているわけではない。
 あくまでも、「生きたお金」を使うべきだと言いたいだけである。
 
 いまの医者というのは、昔と違ってお金持ちではない。相場が100万円もする一部の大物教授や有名教授は別として、現場の医者は生活に手いっぱいな人間も多い。あなたの謝礼を生活費の足しにしたり、そのお金で子どもの教育費や住宅ローンを払ったりするかもしれないのだ。

 つまり、謝礼を払うなら、ともかく、医者を、自分あるいは家族の健康のために、より熱心に働くようにさせることである。
 
 入院、手術となれば気分も暗くなる。ほかの患者に比べて、自分の症状は軽いのか重いのか、医者の腕は確かだろうか、看護婦は心を込めて世話してくれるだろうかと、心配は募る。そこで、それらをチェックしたうえで、それに見合った謝礼をするようにすることだ。
 
 では、あなたの謝礼のコストパフォーマンスを最大限にする方法はあるのだろうか? そのためには、いくつかのポイントがある。
 ここでは、さる有名病院への入院、そして手術というプロセスを考えてみよう。

・紹介によって権威ある医師の診察を受ける(挨拶料)
 →内科的入院治療、または手術が決定(挨拶料)
  →執刀医への挨拶、感謝(術前、術後)
・麻酔科医(手術の場合)への挨拶(術前)
・看護婦への挨拶
・医事課への挨拶

 というところが、謝礼のポイントとなる。これらをすべてこなすことはない。また、現金である必要もない。看護婦や医事科などには、お菓子など差し入れにする場合もあろう。要は、いかに、病院生活をスムースにし、手術の場合は、それを完璧にやってもらうかである。
 また、もし、に再発再入院となった場合は、謝礼が役立つだろう。      

 以下は、あまりにも現実的なことだが、私はこれを勧めているわけではない。
 あくまで、「謝礼」をするならという仮定に立った話である。

 あなたは、まず、外来で、紹介された先生に診察してもらうことになる。このとき、内ポケットには、3万円と5万円が入った2種類の封筒を用意しておくのがいい。日本では昔から「一、三、五」という奇数が好まれたから、2万円とか4万円は避けた方がいい。大学病院だから1万円というわけにもいかないだろう。

 ここで、医者の態度とか診察の仕方によって2つの封筒を使い分ける。そのへんは患者であるあなたの感じ方の問題だが、たとえば「これは心配ないでしょう」と言われたら3万円。「もう少し検査してみて、結果によっては入院してもらうかもしれません」と言われたら5万円と決めておく。先の3万円は「ありがとうございました。今後ともよろしく」という、いわゆる挨拶料だ。後者の5万円は「入院治療の際は、なにとぞよろしくお願いします」という、もう少し深いメッセージが含まれる。

 さて、入院が決まっても、すぐに入院できるわけではない。大病院はいつも混んでいてベッドが空くまでのかなりの期間、ウエイティングがある。そこで3万円と5万円の違いが出てくる。

 つまり、入院手続きの書類を医事課へ「至急」と記して出すか、普通の順番待ちに出すかである。病気を気にしながら入院を何カ月も待つのはつらい。多少のサジ加減は期待できるかもしれない。あくまでこれは「カモシレナイ」のであって、5万円でもその保証はない。

 一刻を争う容体であれば、当然、ウエイティングの1番にくるだろうが、入院を待たされるというのは、緊急を要する病気ではないということの証明でもある。

 次の問題は、謝礼を事前に渡すか、事後に渡すかという問題である。単に念のため外来の診察をという場合は事後で十分だ。もしも症状にかなりの不安があり、よりていねいに診てもらい、「今後の生活指導も……」というような場合は、紹介者にお願いして事前にその旨を担当医師に伝えてもらえればベターだろう。

 もちろん、外科手術を、世間で名が通った名医に処置してもらう話は、これとは別の話だ。いじょうは、ごく一般的な謝礼の話をまとめたものと思っていただきたい。くり返すが、謝礼は本来必要ないと、最後にもう一度明記しておきたい。