医療ミスの実例報告をチェックする その1 印刷

 当然のことだが、医学がどんなに進歩しようと、人間がそれに関わる以上、医療ミスというものは無くならない。つまり、医療ミスとはあくまで人為的なものである。「システムが悪い」「医者も看護婦も過重労働である」など、いろいろなことが言われているが、結局は人間そのものがミスを犯している。   

 したがって、医療ミスは大きくわけて3つの種類がある。

   1、医者の過失による医療ミス
   2、看護婦の過失による医療ミス
   3、それ以外の医療ミス(医者と看護婦の複合ミス)

 それでは、この3つに分けて、医療ミスの実例をチェックしたみたい。

■ガンでない乳房を完全に切除

(1998年夏、厚生労働省の資料より抜すい) 

 大阪府枚方市立枚方市民病院(山城國暉院長、442床)で、外科医(69歳)が70代の患者を視触診と超音波検査だけで乳ガンと判断し、手術中の病理検査で「ガンではない」との結果が出たにもかかわらず片方の乳房を完全に切除していたことがわかった。 

 カルテの検査報告書は手術後すぐ、外科医が紙を貼って見えなくしたという。外科医は手術後、この患者に検査結果などを説明していなかった。4年前には、60代の患者に対しても、病理検査で乳ガンと確定していないまま乳房の一部を切除し、手術後に抗ガン剤も投与していた。 

 手術を受けたのはいずれも大阪府内に住む女性、執刀した外科医は当時の病院長(1999年4月から名誉院長)だった。

 70代の女性は視触診と超音波検査で乳ガンとされ、手術を受けた。手術室ではまず、腫瘍の組織を30分ほどで検査結果の出る「迅速標本」として採り、病理検査に回した。まもなく、ガンではないとの結果が手術室に伝えられたのに、さらにもう一度、組織を病理検査に回し、ガンかどうかの確認をしている。しかし、手術は続き、片方の乳房を切り取り、転移しているはずのないリンパ節も取ったという。 

 執刀した名誉院長は「私の判断で絶対に悪性だと思った」と説明したうえで、「申し訳ないことをしたと思っている。謝りたいと思う」と話している。60代の女性は1996年冬、同病院の外来で触診断や超音波検査の結果、「乳ガン第一期」と診断され、そのまま入院した。約1週間後の手術の際、組織を迅速標本として検査し、「悪性とは確定できない」との結果が出た。しかし、手術で乳房の一部が切り取られ、転移しているかどうかわからない脇の下のリンパ節も取られたという。

 枚方市民病院は同市が1950年に設立した総合病院で、厚生省から臨床研修指定病院に認定されている。

■2人の患者を取り違え、それぞれに違った手術を

(1999年1月14日、各紙の報道から)

 横浜市金沢区の横浜市立大学付属病院(腰野富久病院長、623床)で、2人の患者を取り違え、それぞれに間違った手術をするミスがあったことがわかった。

 病院によると、1人が心臓、もう1人は肺に疾患があった。病院の医師が執刀し、手術が終わった後に患者を取り違えて手術をしたことに気づいたという。同病院には手術室が11あり、前年は約4000件の手術をしている。心臓に疾患のあった患者は1999年11月に、肺に疾患のあった患者は2000年11月に死亡しているが、病院側は死因はこの手術のミスではないとしている。ちなみにこの横浜市立大学病院はこの手術ミスが公になった直後に手術をした2人の患者の体内にカテーテルを置き忘れるという、とんでもないミスも続けて起こしている。

[私の見方]

 医療ミスで意外に知られていないのが、手術の前段階における診断ミスである。手術は、ある意味で治療のひとつといえるわけだが、この前段階の診断にミスがあったら、目もあてられないというのが、この2つのケースといえるだろう。

 なかでも枚方市民病院のケースは触診断と超音波検査だけで、「これはガンだ」と決めつけること自体、医者として失格である。

 報道によれば、この名誉院長はこういった検査方法でこれまでに100例近いガン手術をしているとあるが、このなかには実際は、ガンでもないのに切除手術を受けた患者がいるはずに違いない。考えただけで、背筋に冷たいものが走る。

 一部の報道に〝手術を始めてすぐに病理検査の結果が出て、乳ガンではないという結果が出たにもかかわらず、乳房の一部を切り続けた……〟という記述があったが、この感覚は医者の心理としては理解できる点がある。検査漬けの内科に対して外科は切るのが仕事である。普段から切りたくてうずうずしている人種と思っていい。

 だから、かりに手術の途中に〝ストップ!〟がかかってももう止められないのだ。医者というのは患者が考えるほど清廉潔白でないことを、この際知るべきだ。

 最近、頻発している患者の取り違え事故にしても、担当医は途中で何回か疑ったことは想像できる。それでもそのままやってしまうのが、医者の習性というもの。このあたりの医者としての人間教育がしっかりとフォローアップされないと、こういった事故はこれからもなくならない。

「臨床検査はそうかもしれないが、自分の今までの経験からいって、これは絶対ガンに違いない」と考えて疑わない、独断と偏見に満ちた医者がたくさんいるのだ。

 このケースのなかでもうひとつ気をつけなければならないのは、枚方市民病院が厚生省から臨床研修指定病院に認定され、地域における信頼もあつかったように解釈されている点である。じつを言うと、臨床研修指定病院というのはあくまで他の個人病院より設備が整っているというだけの意味で、医者の〝技術〟までを厚生省が保証しているわけではないことを、この際知っておいてほしい。

■くも膜下出血を予防するための手術で静脈を切断し後遺症。2590万円の賠償命令

(2000年5月、厚生労働省の資料より抜すい) 

 くも膜下出血を予防するための手術で後遺症を負ったとして、神奈川県内の主婦(56歳)と家族が、順天堂大学医学部付属順天堂医院(東京都文京区)を経営する学校法人を相手取り、計5500万円の損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁は原告の請求の一部を認め、約2590万円の支払いを命じた。金井康雄裁判長は「担当の医師には、危険をおかしてまで緊急に実施する必要がない手術をした過失がある」と述べた。

  判決によると、女性は1992年8月に同病院で手術を受けた。医師が静脈を切断したところ脳梗塞が起き、主婦には目が見えなくなったり、においを感じることができなくなったりする後遺症が残った。

■脳腫瘍の手術で神経を傷付け、左半身麻痺に

(1999年3月20日、『朝日新聞』の記事より)

 福岡県八女市の公立八女総合病院(下川泰院長)で、脳腫瘍の手術で脳神経を傷付けて左半身を麻痺させていたことが分かった。

 患者は70代の女性。脳外科の担当医が頭の骨に4、5ヶ所の穴を開けようとして、電動式ドリルの調子が悪く、手動式を使ったところ、数㍉ほど深く入り、神経を傷付けたという。病院側はミスを認め、2800万円の医療補償金を家族に支払った。

[私の見方]

 脳外科で脳ドックを受けて、「あなたには動脈瘤があります」「くも膜下で破裂する危険性がありますから手術した方がいいですよ」と言われても絶対に手術をしないようにと、私は常々アドバイスしている。

 というのは、脳外科を取り巻く環境があまりにも悪いからだ。たとえば横断歩道に陸橋ができて、交通事故による頭部外傷がここ数年の間に急速に少なくなっている。脳外科は、そもそも頭部の外傷と脳腫瘍が主たる仕事場だから、頭部外傷の交通事故が陸橋ができたことによって大幅に減ってしまうと、脳外科は大幅にヒマになる。

 また、脳腫瘍は、1万1000人にひとりの病気といってもいい。つまり、滅多に脳腫瘍で手術をする患者は、今はほとんどいない。こうなると、脳外科医としても困ってしまうわけだ。これは、頭を開ける機会がほとんどないということを意味する。それで、開業医は脳ドックでなにかをみつけたら、何とかして脳を開けるように患者にすすめることになってしまった。そうしないことには商売が成り立たないからである。

 しかし、脳を手術することのリスクはあまりにも大きすぎる。私の知り合いでも脳を手術したおかげで、ひとりは車椅子生活になってしまったし、もうひとりは寝たきりの状態になってしまった。だから、もし検査で動脈瘤が見つかったとしても絶対に手術をしたらダメである。動脈瘤があったとしても、脳腫瘍になる可能性は1年間で0・05%。これはほとんどならないということの証明でもある。このことは、第4章の脳ドックのところでも説明したとおりだ。

 脳の手術に失敗すれば、人間の五感すべてに影響を及ぶ。このケースは、若い医者に任せて失敗したのかもしれない。もしかして練習のためにやらせたとすれば、とんでもない話である。

■研修医が心臓停止を見逃し、3歳男児脳障害

(2000年3月、厚生労働省の資料より抜すい)

 広島市中区、社会保険広島市民病院(柴田醇院長)で、心臓手術を受けた男児(3歳)が、集中治療室(ICU)で心臓停止を起こしたのを研修医(26歳)が見逃したことが原因で、男児が脳障害になり体を自発的に動かすことができない状態になったことが分かった。

 病院側は「一時的とはいえ、医師免許を取得して1年足らずの研修医1人に患者を任せたのは誤りだった」とミスを認めている。

 病院によれば、男児は心臓の心室と心房の欠損部分を塞ぐなどの手術を受けた後、ICUに入室した。ICUでは研修医を含め数人の医師が男児を治療していたが、入室から約3時間後、研修医と看護婦の2人だけとなった。この際、男児の血圧数字が異常を示したが、研修医は機械の故障と判断し、心臓停止を見逃した。停止から13分後に別の看護婦が男児の容体の異変に気づき、複数の医師らが心臓マッサージを施した。心臓は動き出したが、停止の間、脳への血流が不十分だったため脳障害が起きたという。

[私の見方]

 医者の未熟さが招いた悲劇的なケースといえるだろう。このケースはこの〝機械の故障と判断して〟という部分がそもそも間違っている。まず医者の基本的なあり方として、患者の訴えというのをいちばん大切にしなければならない。次に看護婦の訴え。医者はたまにしか(患者を)診ないわけだから、患者が現在どのような状態にあるのかを把握しているということはほとんどないのだ。看護婦が医者に訴えるときと、患者が訴えているときというのは、本当に何かあると思わなければ医者としては失格である。その訓練がこの研修医には欠けていたのだろう。こんな基本的なことがクリアされていないで、この研修医は人の生命を授かる現場に出ていたわけだ。 

 こういった部分の教育が、今の医学教育のなかでは完全に欠如してしまっている。現在の医学部の教育は、2年間は教養で3年から4年が基礎医学や生理学。さらに、5年からは内科とか外科とかの専門科目。医師の教育とはこれだけである。人間教育の部分が完全に抜けてしまっている。 

 いわゆる百戦錬磨といわれる人たちは、このあたりの感覚を自分で学んでいく。実際に自分で学ぶ以外、方法がないわけだから。患者を説得させるというのは、医学とは全然違う能力が要求される。そういうことに教育を割くという発想が今の医学界には全然ないのである。医者のなかには治療や手術を施せば、自分の役目を終わったと思っている輩がいるようだが、とんでもない話だ。治療とか手術はあくまで技術の提供であって、医を施すこととは本質的に違うものだ。じつはここからが医者として大切である。

 つまり、いかに正確に患者に病状と経過を説明できるかである。たとえば脳外科でも、手術が終わって初めて家族に「動脈瘤の手術はこうでした。ですからこういう結果がでて、これからはこういう治療方針でやっていきたい」と、こういう説明ができなければ医者として意味が無い。それをできない医者が、今はあまりにも多すぎる。

 恐ろしいことにICUでは、研修医と看護婦だけというケースが、じつは多い。それだけになおさら、こういった部分の教育がしっかりなされていないと、このような医療事故はこれからも無くならないだろう。