10/07/17●慈恵医大病院を提訴した私と息子の請求を東京高裁が「棄却」 印刷
一昨日、7月15日、東京高裁は私たち親子の請求を棄却し、これで私は母校の医師を訴えた裁判で2度とも敗訴することになった。前回の地裁で争った第1審に、今回は「説明義務違反」という新主張をつけ加えたが、結局、これもまったく認められなかった。
 息子が脳梗塞を発症することになった検査の前日、2006年5月18日のインフォームドコンセントで、慈恵医大側は重要なことを言わなかったと主張したが、聞き入れられなかった。裁判所は、医者の裁量権の範囲を拡大解釈しすぎているとしか思えない。
 この件については、いずれ本にするつもりなので、ここでは書かないが、敗訴してみてわかったのは、医療過誤裁判の予想以上に厚い壁だった。そして、それ以上にあの忌まわしい「事故」から4年以上の歳月を無駄にしてしまったことが悔やまれた。
 東京高裁での棄却が決まった際に、私のもとにはいくつかのメールが寄せられた。「気を落とさずに」「さぞかし無念だったでしょう」などと書かれたなかで、あるメールにはこんなことが書かれていた。
「残念です。しかし、遠目で見ていた医師たちは富家先生側が正しいということをうっすらと噂していました。いずれ、A医師は同じような失敗を繰り返すでしょう。神様はちゃんと見ていると信じています」
 いまの私にとっては、これに勝る励ましの言葉はない。