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長生きは本当に幸せか?(2) 理想とされる「在宅死」の問題点

 人は誰でも、住み慣れた家で愛する家族に看取られて穏やかに死んで行きたいと願います。これを「在宅死」と呼びますが、現在のところ、それができるのは、統計では4人に1人です。ちなみに、厚労省の統計では、老人ホームなどでの死も「在宅死」としています。

 人口減社会になった日本では、毎年、約130万人の人が亡くなっています。このうち、約100万人が病院と診療所を合わせた医療機関で亡くなっています。こちらを「病院死」と呼びますが、日本人のほとんどが病院で死んでいるわけです。 

 

 

 しかし、近年、厚労省は、「病院死」から「在宅死」への転換を測っています。「団塊の世代」が75歳以上になる2025年が近づき、少しでも医療費を減らさないと、国家財政がもたないからです。

 つまり、これからは望もうと望むまいと、人は在宅で死んでいかねばなりません。いまだに、「病院で最期まで看てもらえる」と考えている人は多いようですが、そうはいかないのです。なぜなら病院のベッド数も今後はどんどん減らされることが決まっているからです。

 

 そこで、私はたちが考えなければいけないのが、「在宅死」がどういうものかということです。これまで、死を病院に丸投げしてきた日本人には、家で死ぬという経験の蓄積が、本人にも家族にもありません。

 在宅死は、多くの場合、がんなどで病院に入院した高齢の患者さんを家族が引き取るところから始まります。すでに本人も末期を悟っているので、「家で死にたい」と願うのです。

 

 ところが、家に戻ったものの、介護してくれる在宅ケアの人手も、在宅医も看護婦も、現在のところまったく足りていません。厚労省は、在宅シフトを実現させる仕組みとして、医療・介護・生活支援を地域で一体的に提供する「地域包括ケアシステム」を提唱していますが、これができる自治体は少ないのです。財政難、人口減であえいでいる地方は、とくにそうです。

 

 「理想の在宅死」がかなわなかった例として、2016年にがん闘病の末に亡くなられた大橋巨泉さん(享年82歳)が挙げられると思います。寿々子夫人も「後悔している」と、週刊誌で述べています。

 なにしろ、在宅医としてやってきたのは、皮膚科や美容外科が専門でニキビ治療で有名だった医者です。その医者は、医療用麻薬から飲み薬などを大量に持ってくるだけで、たいした診察もしなかったと言います。その結果、巨泉さんは医療用麻薬を大量に服用したために、呼吸不全を起こして緊急入院することになったのです。そうして、3カ月間、集中治療室で治療を受けた末に亡くなったのです。

「家で死にたい」と願ったのに、結局、病院で死ぬことになってしまったわけです。

 

  在宅医は全国的に不足しています。医療コンサル会社には「在宅医を紹介してほしい」という引き合いが殺到していますが、なり手はなかなかいません。なぜなら、在宅医として患者さんの看取りに責任を持つためには、24時間体制で勤務しなければならないからです。患者さん宅から「苦しんでいる」と連絡があれば、夜中でも駆けつけねばなりません。携帯は肌身離さずで、プライベートはありません。在宅患者さんの家族からの不満の第一は、「呼んでも先生が来てくれない」です。

 それでも、開業医のうち23割は在宅を引き受けています。しかし、終末期治療、緩和ケアの経験が乏しいので、大橋巨泉さんのような例が頻繁に起きるのです。また、在宅治療には、十分な薬や医療機器が使えません。そのため、病院勤務医は、在宅を嫌がります。さらに、全国で訪問看護に従事している看護師さんは、全看護婦さんのたった3%ほどで、圧倒的に不足しています。

 病院で死ぬのも在宅で死ぬのも地獄という状況に、いまの日本はなっています。 

 

2019年5月       

 
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