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Doctor's Eye(私の視点・報告&医療ニュース)

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23/08/24●アルツハイマー病 新薬「レカネマブ」ついに承認。早ければ年内にも使用へ

 待ちに待った認知症新薬の「レカネマブ」(製品名:レケンビ)が、ついに承認された。エーザイと米バイオジェンが共同開発したもので、21日、厚生労働省の専門部会で承認が決定した。これにより、アメリカに続き、日本でも年内に実用化される見通しになった。

 アルツハイマー病を発症した人の脳では、「アミロイドβ」と呼ばれる異常なたんぱく質の蓄積が見られ、これにより神経細胞が壊れ、脳が萎縮し、その結果、脳の働きが低下すると考えられている。「レカネマブ」は、この「アミロイドβ」を取り除くことで、症状の進行を抑えるというもの。ただし、治験での効果は27%だ。2週に1回の点滴投与で、薬価も高い。一部に「これで認知症が治る」という誤解があるが、認知症は老化現象の一つなので、治せるものではない。ただ、こうした薬ができたことは画期的だ。

  

 
23/07/20●それにしても「猛暑」。医療にも負担「弱者が犠牲に」とWHOが警告。

すでに、「記録的な」とか「前例はない」とかいう言葉聞き飽きたというほど、今年の夏の猛暑は凄まじいものがあります。いまや、連日35℃超えの「猛暑日」続きです。

 

 熱中症患者が続出し、医療機関も休む暇がありません。

 そんな中、WHO(世界保健機関)が警告を出しました。

 【ジュネーブAFP時事】

 世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は19日、北半球を覆う猛烈な暑さで、持病の悪化など「健康医療制度に掛かる負担が増す」と警鐘を鳴らした。また、弱い立場の人々が最も悪影響を被っているとして、対策の必要性を訴えた。

 テドロス氏は記者会見で「極端な暑さの最大の犠牲者は、高齢者や子供、貧困層やホームレスなど、最も備えができていない人々だ」と指摘。「過度な暑さにさらされると、健康に広範囲の影響が及ぶ。持病の悪化や早死に、障害をもたらすこともある」と強調した。世界気象機関(WMO)と連携し、各国による対策整備を支援しているとも明らかにした。

 
23/04/28●新型コロナ「5類」移行決定。療養期間5日に短縮

新型コロナの感染症法上の位置づけについて厚生労働省は427日、専門家による部会で現在の感染状況や変異株の状況などを踏まえ、58日に「5類」へ移行することを最終決定した。「5類」は、季節性インフルエンザなどと同じ扱い。5類への移行後、検査は医療機関で行う場合も検査キットを使用する場合でも自己負担で行うことになる。

 また、移行後は。患者に行政による外出自粛要請などの措置が取られなくなる一方、感染者の療養期間について、現在は7日間となっている目安を5日間に短縮される。

 
23/02/15●夕刊フジに『年齢壁「65歳」「75歳」「85歳」----どうすれば「壁」を乗り越えられるか?』を連載

私は昨年、75歳を迎え、後期高齢者の仲間入りをしましたが、それとともに思ったのは、これまでの人生を振り返ると、ほぼ10年ごとに大病をしてきたことです。

 そこで、自身の経験を含めて、「65歳」で高齢者の仲間入りをしたら、年齢ごとに訪れる「年齢壁」に十分に気をつけてほしいということで、今回の連載をはじめました。

 「65歳」の次は「75歳」(後期高齢者)、「85歳」というふうに、「年齢壁」がやってきます。これを乗り越えれば、寿命は伸びます。最近は、和田秀樹氏のベストセラー「80歳の壁」が注目されていますが、健康寿命を考えると、男性が72.68歳、女性が75.38歳なので、やはり「75歳」が一つの大きな壁でしょう。

 現在、65歳以上人口は3640万人(総人口の29.1%)、

75歳以上人口は1871万人(同14.9%)、85歳以上人口は618万人(同4.9%)です。

 現在、私がいちばん注意しているのは「脱水」です。そのため、水を飲むことをいちばん気にかけています。血管が問題を起こすのは心臓と脳です。いずれも、水分は十分に必要です。

 
22/11/03●夕刊フジに「健康長寿のための未病対策」を連載。病気になってから医者にかかる時代は終わった!

最近、「未病」という言葉が広く使われるようになっています。ひと言で言うと「病気未満」です。要するに病気になる前に治してしまおうという考え方です。

 このような考え方ができるように背景には、ゲノム解析などによる遺伝子治療、バイオテクノロジーに基づく次世代医療技術、それらを支えるAIIT技術などの目覚ましい進展があります。それによって、病気の前兆を捉える検査方法が進歩し、ヒトの健康状態をデジタルで捉えられるようになったからです。

 

 こうなると、医者のあり方、医療のあり方も変わります。

 かつては、病気なってから医者にかかったので、医者の仕事は「治療」が中心でした。それに加えて、日頃から病気にかからないようにする「予防」がありました。しかし、これからは「予防」と「未病」が中心になります。病気になってから医者にかかる時代は終わったのです。

 

 このような観点から、「糖尿病」「心疾患」「がん」について未病対策のポイントをまとめ、「夕刊フジ」に連載しました。

 

  11月2日記事

 
22/10/15●「燃える闘魂」アントニオ猪木さんへの哀悼原稿(夕刊フジ掲載)を載せます

 予想はしていたとはいえ、訃報はやはりショックでした。私の恩人であり、私の人生をある意味でつくってくれた人でした。訃報後、テレビや新聞でインタビューに応え、夕刊フジには哀悼文を掲載してもらいました。

 その原稿を、ここに全文掲載します。

 なおその後、「ヨミドクター」にも寄稿しましたので、併せて読んでいただければと思います。

 

[ヨミドクター]「追悼」アントニオ猪木 自分を演出し続けた受け身の達人…プロレス人気を最高潮にした男

   https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20221012-OYTET50001/?catname=column_fuke-takashi

  

[夕刊フジ]哀悼「燃える闘魂」アントニオ猪木

 101日、早朝の訃報に、正直、本当にお疲れさまと合掌しました。いまも耳の奥で、「元気ですか!」の声が聞こえます。

 918日、「腰が痛くてたまらないので、専門の先生を連れてきてくれませんか」と電話があり、専門医と訪問したのが最後の別れになりました。ベッドのリクライニングを上げ、つらそうな表情は少しも見せず、「いや、よく来てくれました」と-----。もう、痛みを和らげるほか手の施しようがないことを、本当に悔やみました。

 

  猪木さんが、数万人に1人という「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」を患っていると知ったのは4年前です。タンパク質線維が心臓に沈着して、多臓器不全などを発症するという難病で、不治の病です。

 猪木さんの場合、とくに腰に激痛が走るようで、よくその痛みに耐えてきたと思います。心臓も冒され、腸捻転なども発症し、入退院、リハビリ、温泉治療などを繰り返し、最近は寝たきりでした。

 それなのに、8月末には『24時間テレビ』に車椅子姿で出演し、SNSでは闘病生活を公開してきました。なにもかもさらけ出し、その姿をファンに見てもらう。それが彼の生き方で、けっして飾ったりしない性格に、私も半世紀にわたって惹き込まれてきました。

 

 リングドクターをした経験から言うと、猪木さんほど怪我に縁遠いレスラーはいません。プロレスでは、相手の技をまともに受けていては体が持ちません。そこで、レスラーたちは技(わざ)を巧みに交わす技術を徹底して磨くのです。一言で言うと「受け身」ですが、猪木さんは、この受け身が天才的にうまかった。対戦したレスラーたちが必ず言ったのが「猪木には技がかからない」です。

 猪木さん自身もそのことを知っていて、弟子たちにその技術を教えていました。そんななかで、「私に匹敵するのは佐山聡(初代タイガーマスク)だけだ」と言っていたことを思い出します。

 

 レスラーは、一般人に比べ、カルシウム、無機リン、アルカリフォスターゼなどの数値が高く、猪木さんもそうでした。そのため、新陳代謝は活発で、回復力は早いのです。それなのに、最後に難病に罹り、それだけは技を交わすようには交わせませんでした。

 じつは昨年暮れ、2度、猪木さん宅を訪ねて様子を診たのですが、医者の直感からして長くはないと思い、胸に熱いものがこみ上げました。もちろん、誰にも話さずに来ましたが、あれから1年弱、本当によく頑張ったと思います。

 

 猪木さんには本当に世話になり、数々のことを教えられました。病院経営に失敗したさして取り柄もない私に、「先生、プロレスのドクターをしていることを利用してかまいませんよ」と気を使ってくれました。テレビに登場できたのも猪木さんのおかげです。 

 タイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン、そしてボクシングチャンピオンのモハメド・アリ、柔道王のウィリエム・ルスカなど、数々の名場面を思い出しますが、純粋にプロレスとしての最高の試合は、1988年の横浜文化体育館での藤波辰爾との60分ドローでしょう。

 かつて私は、1年の3分の2は試合に付き添い、全国を回りました。いまでも年に数回は一ファンとして試合を見ます。しかし、そこにアントニオ猪木の姿は永遠にありません。

 
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