「医師不足」はなぜ起こったか? 第5回 印刷
2009年 4月 30日(木曜日) 20:20

臨床研修医制度と医学生(その2)

      「定員増」と「制度見直し」に走る政府

 文部科学省は2008年11月4日、全国77の国公私立大学医学部で来年度の入学定員を今春より693人増やし、8486人とする計画を発表した。


 これは、ピークだった1981~84年度の8280人を約200人上回り、過去最多となる。各大学では増員を機に、医師不足の地域に集中的に人材を送り出すための方策として、地元入学枠や奨学金の新設を検討していくという。
 ちなみに、入学定員を増やすのは、医学部を置く全国79大学のうち77大学で、国立42大学(363人)、公立8大学(59人)、私立27大学(271人)。大学別で見ると、10人前後の増員がほとんどで、最も多く増員するのは、順天堂大と岩手医科大の20人である。

 こうした医師不足解消に向けての取り組みは、厚生労働、文部科学、総務の3省合同の検討課題であり、先に厚労省は、「制度見直し」を表明している。たとえば、「医師がとくに少ない都道府県を対象に、医師確保のための補助金を重点配分する」「医師不足が深刻な小児科、産婦人科では、都道府県ごとに人材や機能の集約化・重点化を進める」「研修医制度を見直す」などだ。
 しかし、では、医学部の定員を増やし、研修医制度などを変えれば、医師不足は解決するのだろうか?

 そんなことはありえないと、私は思う。
 なぜなら、日本の医師不足には、定員増だけでは解決しない、さまざまな原因が絡み合っているからだ。その原因をきちんと分析せずに小手先の対策に終始すれば、医療はますます荒廃していってしまう。
 そもそも、日本の医学生はアメリカに比べて見学型実習が多く臨床能力が劣る。そのために、卒業後の研修を2年間にしたのに、これをまた変えるのでは話にならない。

 日本の医療制度の最大の欠陥は、「自由標榜制」にある。これは、医師免許さえ持っていれば、麻酔科を除いて、誰もが好き勝手に診療科を選んで診察できるということだ。医療が複雑化し、日進月歩しているというのに、これでは話にならない。
 これを放置したままでは、どんな改革も無意味になると、私は思っている。

 現在、日本のGDP(国内総生産)に占める医療費の割合は、約8%である。これは、先進7か国平均(10・2%)はもとより、OECD平均(8・9%)も下回っている。
 したがって、まず医療費抑制政策をやめ、GDPの10%以上を目指すべきであろう。そうしたうえで、医療を専門医療と一般医療サービスに分け、それに見合った医者を養成すべきだ。また、医者の養成は時間がかかるので、医師をサポートする看護婦や事務員も増やすべきである。
 
 アメリカでは、小児科、心臓外科、美容外科など24の専門医資格があり、それぞれに厳しい研修が科せられている。この研修をクリアしなければ、その分野の治療を行うことができないようになっている。日本のように、「私は美容外科医」「私は内科」と自分で宣言すれば、そのままなれるというのは、明らかにおかしい。また、患者という医療サービスを受ける側のことを、まったく無視している。
 
 アメリカの場合、たとえば心臓外科になるには、まず、一般の大学を卒業し、その後メディカルスクール(医学大学院)で4年間学ばなければならない。そして、5?6年の一般外科研修医課程を終え、さらに2?3年の心臓外科専修医課程を修了しなければ、一人前の心臓外科として働けないようになっている。
 一般外科課程も、日本などとは比べものにならないほど厳しい。医療機関は研修医を受け入れたら、1人当たり500件以上の手術機会を提供する義務があり、研修医は毎日のように手術してレポートを書く。こうして、研修医はどんどん腕を磨いていけるし、医療機関は手術数によって受け入れられる研修医数も決まるため、専門医数は制限されることになる。
 
 つまり、日本のように外科医のスキルがバラバラで、少なくとも腕の悪い外科医が横行しているということはない。つまり、いくら医者の数を増やしても、それが医者に値しないような医者なら、なんにもならないということだ。
 ドイツなどは、専門医に関しては、その数を制限している、たとえば、心臓外科に関しては、医療機関の数を80に制限し、医療の質を維持している。

最終更新 2009年 9月 10日(木曜日) 02:20