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15/08/20●新著『「死に方格差」社会』(SB新書、864円)のご紹介 PDF 印刷

この812日に、私の新著『「死に方格差」社会』(SB新書、864円)が、ソフトバンククリエイティブから発売されました。本書はサブタイトルにあるように、「医者の言いなりならず望み通りに人生を終える法」を考えたもの、つまり、「医者が考える終活本」です。

 今年の4月まで、夕刊フジで連載した「死に方事典」の内容をふまえて、大幅に加筆しました。団塊世代が後期高齢者になる2025年問題を見据えて、私たちはどうすれば「いい死に方」ができるのかを、さまざまな視点で考えてみました。ぜひ、ご参考にください。

      『「死に方格差」社会』(SB新書、864円)

 なお、以下が本書の「目次」です。この後、「はじめに」の部分をここに掲載します。

■『「死に方格差」社会』目次

                はじめに

第1章       大きく変わる日本人の「死に方」

第2章       死ぬとはどういうことなのか?

第3章       「老化」とは「病気」は違うもの

第4章       ガンで死ぬということについて

第5章       世の中の「健康情報」に騙されるな

第6章        こんな検査・治療は拒否していい

第7章       どうしたら健康で長生きできるか?

第8章       信頼できる医者の探し方、選び方

第9章       「死に方格差社会」を乗り切るには?

                おわりに

 

■『「死に方格差」社会』はじめに

 

 医者を長年やってきてつくづく思うのは、人は自分が思ったようには死ねないということだ。若いときは自分が死ぬことなど考えもしないで、患者さんの病気や死を見てきた。医者だから、死は見近かだったが、死を意識したことはなかった。

 それが、60歳を超えてからは、自分の死を次第に意識するようになり、いまでは、どのように死んだらいいのかとよく考えるようになった。

 

 私は医者としてはかなり特異な経験をしてきた。代々の医者の家に生まれた私は、当然のように医大に進学して医者になったが、独立心が旺盛だったために開業医となり、いっときは病院経営者として8つの病院を切り盛りしていた。しかし、ビジネスの才覚はなく、あえなく倒産していまい、それからは医療にかかわるあらゆる仕事を経験した。

 スポーツドクターとしてスポーツ選手のアドバイザーをしたり、大学の講師をしたり、さらに病院経営のコンサルタントや医師派遣業などもやり、この間、医療ジャーナリストとして日本の医療のあり方を考えてメディアの仕事を続けてきた。そうしながら、数多くの本を書かせてもらったが、本書はこれまでの私の本とは趣を異にしている。

 なぜなら、「死」がテーマだからだ。

 

 私が自分の死を意識するようになったのは、前記したように60歳を超えてからだが、3年前、心臓のバイパス手術を受けてからは、その意識がいっそう高まった。

 2012年の暮れのこと、私は急に胸に痛みを覚え、締めつけられるような苦しさを感じた。じつは、この8年前にも同じような痛みを感じて、懇意にしている南淵明宏ドクターに連絡して、心臓カテーテル療法で冠血行を正常化してもらったことがある。

 だからこのときもまた心臓と直感して彼に連絡し、タクシーで、大崎病院東京ハートセンターに急いだ。南渕ドクターといえば、『ブラックジャックによろしく』に出てくる心臓外科医・北三郎のモデルになった医師として有名な心臓外科医である。

 

 検査してもらうと、冠動脈の主幹枝が90%詰まっていた。それで、心臓バイパス手術を受けて、ことなきを得た。冠動脈が詰まることは突然起こることがあり、手遅れになることも多い。幸い私は医者であるうえ、絞扼感が2回目だったため、懇意にしている南淵氏のような腕利きの医者の手術をすぐに受けることができた。

 しかし、もし、一般の方が胸部に絞扼感を覚え、それで近所の病院に行ったとしても、そのときに症状が治まっていれば、助からないケースがままある。とくに心電図検査で異常が認められなければ、CTスキャン、心エコーなどの検査はほぼ行われない。それで、再検査日を告げられて帰されるケースが多い。ところが、その間に発作に見舞われて心筋梗塞を発症してしまうことは珍しくないのだ。

「もしかしたら私は死んでいたかもしれない」「私はいったいどんなふうに死んだのだろうか?」

 そう考えると、私にとって死がいままで以上に身近になったのである。

 

 このような経験をしながら、改めて現代の医療を考えると、見逃せない問題が山積していることに気がつく。

 まず、日本がいつのまにか、本当に高齢社会になってしまい、かつてのどんな時代よりも「死に方」が私たちにとって大きな問題身なったことである。だから、最近では「終活」が流行語となり、「どうやって最期を迎えるか」というテーマがメディアでも盛んに取り上げられるようになった。

 かつて死は私たちに自然に訪れ、家族を含めた共同体のなかで当たり前のこととして処理されてきた。しかし、いまや私たちは死を自然に迎えられなくなった。

 死ぬことも自己責任であり、どう死んだらいいのか、生前から自分自身で考えなければならないようになった。それが、「終活」という言葉に如実に現れている。

 

 そこで、お聞きしたいが、あなたはご自分の終活を行っているだろうか? ご自身の死をはっきりとイメージできているだろうか?

 私の周囲を見渡すと、「終活」という言葉はあっても、それを本当に実行している人は意外に少ない。とくに、歳をとっても健康で仕事を続けている人は、大病をしたりしないかぎり、死を意識することはほとんどないようだ。これは本人ばかりか家族にも言えることで、ご自身の親が元気なら、終活など口に出すのははばかれる雰囲気がある。

 

 しかし、どんなに健康な人も必ず死ぬ。死は避けられない運命だ。しかも、その死に方を私たちは自身で選べない。ガンで死ぬのか、心臓病で死ぬのか、自然に衰えて老衰死するのかもわからない。また、死に場所も、入院先の病院なのか、施設なのか、自宅なのかもわからない。

 さらに、大きな問題は、死に方がその時代の社会のあり方の影響を大きく受けることである。いい死に方をしたいというのは万人共通の願いであっても、医療、福祉などを含めた社会全体のシステムのなかで、私たちは最期を迎えなければならないのである。

 

 現在、私たちの死に方は、日本社会の変化のなかで大きく変わろうとしている。ひと言で言うと、今後、私たちは看取ってくれる家族がいようといまいと、ほぼ自宅で死ななければならない運命にある。

「自宅で死ねるなんて幸せではないですか?」と言われる方が多いが、じつはこれからの「自宅死」はいままでの自宅死とは大きく異なるのである。

 

 「2025年問題」というのをご存知だろうか? さらにその先には「2035年問題」というものもあるが、これが今後、私たちの「死に方」に大きな影響があることをご存知だろうか?

 私は1947年生まれなので、団塊世代である。現在、私たち団塊世代はほとんどが高齢者(65歳以上)となって、やがて10年から20年で、日本人の平均寿命からいって死期を迎えることになる。

 2025年、この団塊世代の中核が75歳を超えて後期高齢者となり、次々に病院や介護施設に入る必要が出てくる。これが「2025年問題」で、このとき、病院の病床数や介護施設は圧倒的に足りなくなる。

 

 この状況を見越して、政府は2014年度の診療報酬の改定と併せて、「入院を減らし在宅を重視する」方針を明確に打ち出した。簡単に言うと、「これからは病院では看取りません。自宅で見取ってください」ということだ。

 こうなると当然だが、介護産業は、団塊世代がこの世から去った後の需要減も見越して、設備投資を減らしていくだろう。つまり、あなたが死期を迎えるころには、面倒をみてくれる病院も介護施設もないということになる。

 もちろん、富裕層の方々は、十分な資金によってこの問題を乗り越えられる。しかし、年金で暮らす一般層にとっては厳しい現実がやってくる。まさに「死に方格差社会」の到来と言っても過言ではなない。

 

 「2035年問題」というのは、医療界では早くから囁かれていた問題だ。というのは、認知症患者がこの年までに450万人に達すると見られているからだ。現在、全国の認知症患者は約230万人とされる。これが倍増してしまう。

 そうなると、老老介護という現実からみて、もっとも困るのが、「親一人子供一人」という世帯になる。こうした世帯は現在どんどん増えている。となると、親の認知症が進んだ場合、自宅介護となれば、子供の生活は成立たなくなってしまう。認知症にかぎらず、ほかの病気でも同じことが言える。

 寝たきり高齢者が増え続け、それが施設で面倒をみてくれないとなれば、家族はどうしたらいいのだろうか?

 

 このように、じつは私たちの老後は、圧倒的に暗いと言える。もはや、リタイア後の悠々自適生活というのは、大多数の日本人にとってはかなわない夢ではないかと思う。

 だから本当に、「どうやって自分の願いどおりに死ねるか」を、いまから考えておかなければならない。誰もが勝手には死ねない。とはいえ、歳をとるにつれて、確実に私たちは衰えていく。

 現在、「健康本」「長生き本」は書店にあふれている。健康で長生きできれば、それに越したことはないが、はたしてどれくらいの人がその願いをかなえられるだろうか?

 このような問題意識から、医者の目で見た「死」を描いていくのが本書である。どうか、みなさんも私といっしょに考えていただきたい。

 

 
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