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長生きは本当に幸せか?(7) 死とはなにか?医者は自然死を知らない

    昨年(201710月〜20189月)、日本では1369千人の人が死にました。日本はいまや「多死社会」になろうとしています。

 ところが、死にもっとも近いところにいながら、私たち医者は、死というものをよくわかっていません。ここで言う死とは、「自然死」のことです。人間がどうやって死んでいくのか、じつは医者がわかっていないのです。

 なぜなら、医者の仕事が患者屋さんを死なせないことにあるからです。医者は、現代の最先端医療を使い、なんとか患者の命をもたせようとします。つまり、過剰とも言える延命治療を行います。その結果、人間が老化して、老衰して死んでいく状況がわからないのです。

 

 私は最近、介護医療の現場にかかわることが多くなりました。その現場でつくづく思うのは、遺体の様子が昔と比べて大きく違っているということです。とくに寝たきり状態になって延命治療を受け続けてきた方の遺体は、皮膚が黒ずみ、全体が水ぶくれを起こしたように膨らんでいます。これは、点滴や胃ろうで無理やり生かされた結果です。

 欧米各国では、医療施設、老人ホームなどに寝たきり老人はほとんどいません。例えば、北欧のスウェーデンでは、高齢者が自分で物を食べることができなくなった場合、点滴や胃ろうなどの処置は行っていません。このような人工的な処置によって高齢者を生かし続けることは、生命への冒涜と考えているからです。つまり、人間は自力で生きることができなくなったら、自然に死んでいくべきだという死生観を彼らは持っているのです。

 

 ところが、日本はこの逆で、どんなことをしてでも生き長らせようとします。たとえ植物状態になって呼吸しているだけでも、生きている方がいいと考えます。しかし、その結果の遺体を見ると、日本の医療は間違っているのでは思います。

 

 

「自然死とは、実態は餓死なんです。餓死という響きは悲惨に聞こえますが、死に際の餓死は一つも恐ろしくない」と、中村仁一医師は著書『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎新書、2012)で書いています。 

 中村氏は、医師としてのキャリアの最後に特別養護老人ホームの常勤医となり、これまで沢山の高齢者を看取ってきました。 中村氏は、「自然死は病気ではありません。過度の延命治療は死に行く人のためにはなりません」と言い、「大往生するためのいちばんいい死に方は自然死です」と結論しています。

 

 では、「自然死(老衰死)=餓死」とはどのようなものなのでしょうか?

 人間は誰しも死ぬ間際になると物を食べなくなり、水もほとんど飲まなくなります。そして、飲まず食わずの状態になってから1週間から10日で死んでいきます。これは飲食しないから死ぬのではなく、死ぬから飲食しなくなるのであり、死ぬ前にはお腹も減らず、のども渇かないといいます。こうして飲まず食わずになると、人間はそれまで蓄えてきた体の中の栄養分や水分を使い果たして死んでいきます。つまり、自然死とは餓死というわけです。

 

 餓死と言うと、言葉の響きからいって惨めに感じます。しかし、実際は、本当に安らかな死に方が、餓死なのです。

 自然死を迎えた遺体は、やせ細り、枯れ木のような状態になります。しかし、延命治療後の遺体に比べれば、遺体らしい遺体なのです。

 日本は、欧米各国と比べると、寝たきり老人が異常に多い国です。寝たきり老人の数は、社会の高齢化とともに増え続け、現在約200万人に達しています。

 2019年5月 

 
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