長生きは本当に幸せか?(10) 医者いらずの生き方は可能か? |
私は、日本人の死に方を三つの段階に分けて考えています。医者の視点から言うと、現代人の死に方は、突然死以外は、以下の三つの段階を経ていきます。第一段階は、具合が悪くなり病院のお世話になることです。そして、がんなどと診断されると入院となります。この場合、入るのは「一般病床」です。次に、回復が遅いかあるいは長期療養となると、「療養病床」がある病院に移ります。これが第二段階です。療養病床から、ある程度回復して「介護付き老人ホーム」「特別擁護老人ホーム」というコースもありますが、最終的には患者は「自宅」に帰ります。これが、第三段階で自宅です。誰もが死期を悟ると、自宅に帰ることを願うからです。厚労省は「病院死」を減らし、「自宅死」への転換を進めていますから、今後、この三段階コースが、日本人の一般的な死に方になるでしょう。
次に医学的に見た人間の死ですが、これは、いまでは「脳死」が人の死だと認定されています。これまでは肉体の死、つまり「心臓の停止」「呼吸の停止」「瞳孔の開き」が死とされてきましたが、 臓器移植が行われるようになってからは、より早く臓器を取り出し移植したほうがいいとなり、「脳死」を人間の死とするようになったのです。 人間が動物と違うのは、知能を持っている「知的動物」だということです。その脳が死んでしまえば、たとえ、肉体が機能していても、それは生きているとは言えません。それもあり、「脳死」が人間の死ということになりました。ただ、心臓が止まれば脳は死に、脳が機能を失えば心臓も呼吸も止まります。一般的に、99%は「心臓死」 →「脳死」のかたちで、人間は死んで生きいきます。
ところで私は、人間の死には、肉体の死以前の死があると考えています。それは「社会的な死」です。人間は社会的動物と言われます。一人では生きていけません。つまり、リタイアして社会やコミュニティとの繋がりを失い、また、家族もなくせば、それは人間として生きているとは言えません。これが社会的な死です。 そこで、この観点から、健康で長生きを考えると、長野県に行き着きます。
じつは、長野県というのは、医者がもっとも儲からない県です。ご承知のように、長野県は日本一の長寿県、平均寿命が日本一高い県です。そのためか、後期高齢者の年間医療費の全国平均の約90万円を10万円以上下回っているのです。 また、4000だが、長野県は77万3000円と13万1000円も低いのである。脳卒中死亡率も低く、乳がんなどの生存率も高いのです。つまり、高齢者がもっとも健康に生きている県なのです。
なぜ、長野県は健康・長寿県なのでしょうか? 長野県は、これまで県内全域で健康増進・病気予防運動を進めてきています。たとえば須坂市では「保健指導員」という地域住民によるボランティアを中心に「栄養改善」「減塩活動」「ウォーキング」などが行われてきました。また、「県民減塩運動」も有名です。県は「味噌汁は1日1杯」「そばやラーメンの汁は半分残す」を奨励してきました。
こうしたことから、メディアは長寿の秘密を、主に運動と食生活に求めています。 しかし、私は、長野県人が健康なのは、こうした運動を通して、いつまでも人と地域とつながって生きているからだと思っています。人は一人では生きられない。長寿も一人では達成できないのです。
2019年5月 |