富家 孝(ふけ・たかし) 医師・ジャーナリスト 昭和22年3月 大阪府北河内郡(現鶴見区)に生まれる。 慈恵医大卒 早稲田大学、青山学院大学講師を歴任 著書「医者しか知らない危険な話」(文春文庫)他56冊 現在、新日本プロレス・ドクター 学歴 | 昭和34年 3月 | 大阪教育大学附属天王寺小学校卒業 | 昭和37年 3月 | 大阪教育大学附属天王寺中学校卒業 | 昭和40年 3月 | 大阪教育大学附属高校天王寺校舎卒業 | 昭和47年 3月 | 東京慈恵会医科大学卒業 | 昭和50年 3月 | 東京慈恵会医科大学大学院医学研究科博士課程中退 | 平成 2年 4月 | 日本大学文理学部研究生(平成4年3月31日迄在籍) | 職歴 | 昭和48年 6月~57年12月 | (財)日本ボクシングコミッションドクター | 昭和50年12月 | ふけ内科医院開設 | 昭和55年 4月 | 医療法人 富家会 理事長就任 (3病院、2医院、2歯科医院、接骨院経営) | 昭和55年 5月 | ふけ内科医院廃止 | 昭和56年 2月 | (株)人間科学研究所設立(現在に至る) | 昭和56年 4月 | 新日本プロレス・リングドクター(現在に至る) | 昭和58年 9月 | 医療法人 富家会 理事退任 | 昭和60年 9月 | 信州大学経済学部客員講師 (非常勤、地域医療、老人福祉63年 3月31日退任) | 昭和61年 4月~平成 3年 3月 | 早稲田大学教育学部、体育局講師(非常勤、運動医学、生命の科学) | 平成 3年 4月 | 早稲田大学体育局講師(非常勤、生命の科学、平成17年7月退任) | 平成 2年 4月~ 9月 平成 3年 4月~ 4年 3月 | 日本女子体育大学体育学部講師(非常勤) | 平成 4年 4月 | 日本女子体育大学体育学部講師(常勤) | 平成 5年 4月 | 日本女子体育大学体育学部助教授 (体力測定、疾病学、救急処置法、平成8年3月31日退任) | 平成 5年 4月 | 戸板女子短期大学生活科講師(非常勤、栄養学各論、平成6年3月31日退任) | 平成 6年 4月 | 青山女子短期大学講師(非常勤、生理学、平成17年7月退任) | 平成 7年 9月 | 青山学院大学経済学部講師(非常勤、総合教養演習、平成8年3月31日退任) | 平成 9年 5月 | 財団法人 亜細亜友之会理事(平成19年5月退任) | 平成 9年 5月 | 青山学院大学講師(非常勤、社会学、社会学概説、平成10年3月31日退任) | 資格 | 昭和48年 5月 | 第55回医師国家試験合格(医籍登録番号217521号) | 昭和61年 8月 | (財)日本体育協会公認スポーツドクター(登録番号第86694号) | 平成元年12月 | (財)日本相撲連盟 六段取得(登記第1022号) | 平成 9年 9月 | 日本医師会認定産業医(第9700839号) | 運動歴 | 昭和44年11月28日 | 第16回 全国医歯薬獣学生相撲大会 個人第4位 | 昭和45年 1月24日 | 東日本学生相撲リーグ戦 優秀選手賞 | 昭和45年11月27日 | 全国医歯薬獣学生相撲大会 個人第2位 | 昭和46年 6月26日 | 全国医歯薬獣学生相撲大会 個人第3位 | 昭和46年 6月12日 | 東日本学生相撲選手権団体戦 2次予選進出 | 指導歴 | 昭和56年 4月~現在 | 東京慈恵医大大相撲部監督(62年4月より総監督) | 昭和59年 4月~現在 | 東日本学生相撲連盟常任理事 平成元年12月 2日 (財)日本相撲連盟 六段取得(登記1022号) |
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