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[これが医者の世界]学閥、給料、待遇から見たセンセイたち
[これが医者の世界]学閥、給料、待遇から見たセンセイたち - 粗製乱造で医者の質がどんどん低下 PDF 印刷 Eメール
記事索引
[これが医者の世界]学閥、給料、待遇から見たセンセイたち
最近の医者のぼやきエピソード
病院経営は「負のスパイラル」状態
「謝礼」を強要されたうえ手術ミス
患者より賄賂によって薬選び
粗製乱造で医者の質がどんどん低下
試験合格のためのネットワーク
血を見ると失神してしまう学生
出身校とキャリアで決まる序列
  電子化によっても不正はなくならない
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 私の家は、大阪で16代続いた医家である。初代は安土・桃山時代にさかのぼるというが、当時の医療がどんなものであったかは知る由もない。ただし、私は祖父、父の代の医者については、実体験から知っている。

 私の親父は、大阪・北河内で開業医をしており、毎年盆暮の時期には、患者さんたちからお米や畑でとれた野菜などがドサッと届いた。また、家には集金係のおじさんがいて、彼は診療代のツケをとりに月末になると街を走り回っていた。

 つまり、あの時代の医者は、患者の懐の具合に合わせて医療を行っていたのだ。私の親父が「赤ひげ」であったかどうかは別として、医者というのはみなそういうものだった。診療代はあるところからとり、払えない人からは時節のものでも持ってきてくれればよしとしたのである。当然、この時代は「医は仁術」であり、貧しい人々への福祉でもあったから、医者というのは「ひとつの立派な生き方」でもあった。

しかし、1961年に「国民皆保険制度」がスタートすると、医者の生き方は変わってしまった。
 国民の誰もがみな等しく医療を受けられる。お金がなくて医者にかかれないという不幸はあってはならないという発想は、あの時代としては正しかっただろう。まさか、その後医者が制度に守られて金儲けに走り、国民も必要もないのにどんどん病院に行くなどと、誰も思わなかったからだ。

 ところが、現実はこちらのほうに悪回転してしまった。いったん経済原則にのっとらない制度ができれば、それは徹底的に食い物にされる。そして、医療費は国家財政を食いつぶし、いまでは保険制度も崩壊寸前である。さらに、これと並行して進んだのが、医者そのものの質の低下だった。

 国民皆保険と合わせてスタートした「医大新設構想」と、「医師150人体制」という構想が医者の質を大きく落とした。「医師150人体制」というのは、人口10万人当たり150人の医者を作るということで、これは当時の欧米先進国並みにしたいという官僚たちの願いに支えられていた。

 その結果、数値目標だけが一人歩きし、新設医大の乱造を招き、その入試は金権入試となって、レベルの低い医者が大量に生産されたのである。当時の新設医大を出た医者も、いまや50代を超えで、立派な「先生」であるから現代の病院ほど恐いところはないかもしれない。

 この「医師150人体制」は1980年代にクリアされたが、と同時に、医者という生き方は単に金設けの手段になってしまった。つまり、このバブル時代に、日本では医療は福祉ではなくなってしまったのだ。

 私が医大を卒業した1972年の時点で、日本の医者の数は約12万5000人だった。それが今や約26万人である。そして、いま、文科省は医者の数をさらに増やそうとしている。これでは、医者に昔のような生き方など求めるのは、どうやっても無理だろう。


 
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